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死有生無
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死有生無 投稿日:2005/04/22(Fri) 00:56 No.1 
白い天井、白いカーテン、ただ白い部屋。
僕は目を覚ました。
此処は何処なんだ……頭が痛い消毒液の匂いが鼻にツーンとくる。
カツン、カツン、カツン
一定のリズムで足音が聞こえてくる、だんだんと音が大きくなる近くなる。
誰かが来る僕の知らない場所に知らない誰かが来る。
白い部屋の隅のドアがゆっくりと開いた。そこには白い服の男が立っていた。黒い短髪の髪で年は30代前半という感じの青年でスッキリとした顔立ちだが目の下の薄い隈が疲労を感じさせる。
「おはよう、調子はどうかな?」
その男は丁重な口調で挨拶をしてきた。ただ挨拶が事務的な感じをさせて僕は不安になった。
「……」
言葉を返すことに戸惑った、何でこんな男が僕の前に居るのか分からなかった。男が不審そうな顔で僕を観ている。
「貴方は自分が誰か分かりますか?」
誰か分かりますか……そんなの決まっていると思った。
「僕は……」
僕は誰だ、誰だって言うんだ……誰だと答えればいい? 言葉に出来ない、見つからない、自分が誰か分からない……
「ぼ・く・は……」
男は僕の声を遮った
「もう良いですよ、だいたい分かりましたから」
分からない……僕は何がなんだか分からない…… 男は頭かき始め、尋ねてきた。
「名前が分からないのですね。此処が何処かくらいかは分かりますか、というよりは、どのような場所か分かりますか」
名前は……出てこない此処が何処か……消毒薬、白い服を着た男、清潔感の在る部屋。
「……病院」
男はホッとしたように顔が和らいだ。
「この程度は思い出していただけるようですね」
思い出す? 何を……名前、違うもっと大事なことを忘れている……
「僕は何を忘れているんだ……」
少し考え込んで男は吹っ切ったように明るい声で言った。
「困りましたね〜こればかりは私にも分からないことですよ。あなたは確かに、あなた自身のことを忘れてしまっていますね」
目の前の男は知らない、僕はどうすればいい……分かっているのは此処が病院で、だから男は医者で……でも此処は何処の病院で男は誰だ?
「すみませんが、此処は何処の病院ですか? それとあなたの名前は……」
すっかり忘れていたという表情で、一瞬固まってスグに営業スマイルみたいな顔になった。
「私の名前は戸田零時(とだれいじ)ですよ。此処は歪病院で、歪市の病院ですね。病院にあなたが居る理由は教えられませんよ。とりあえず御自分が、記憶喪失だということくらいは分かっていますか?」
記憶喪失、聞いた瞬間に自分の状態に対しての不思議だった部分が取れた。それと同時に、記憶がないということを理解してしまったことでの不安感に襲われた。
「記憶喪失だというのは理解できました。でも何故……此処に居るのか話せないのですか……?」
また頭を掻いて慎重に言葉を選ぶように、区切り区切り話した。
「あなたが病院に、居る理由来た理由が、言えないのは今の、状態では脳に負荷が掛かり過ぎると思われますので危険ですからね」
脳に負荷……危険って……
「どういうことなんですか?」
さっきと同じように考えながら話しているように見える。
「もし、その理由があなたにとって、とても嫌な記憶のために消された記憶だった場合、もう一度消そうとして倒れるかもしれませんから、あなた自身で思い出される分には構いませんがね。わざわざ危険なことをする必要はないですから」
……そんな危険な目に僕は会ったというのだろうか、僕は何をされたのだろう。思えば思うほど気になって仕方ないけれど、思い出してしまう恐怖が無いわけがなくて、「教えて」と、言う一言すら出なかった。
「じゃ〜僕は……それほどまでに危険な目に会ったということですか?」
戸田はまた頭をかきだした。どうやら考えるときや、困ったときの癖らしい。
「私が知っている内容自体は決して、危険なことではないと思います。ただし、その中にあなたの記憶の中では危険とされる言葉が入っている可能性も在るので話すことは出来ないのですよ」
危険な目に会ったのか、までは分からないのか……この先生も、だったら……
「そうですか……僕はこれからどうすれば良いですか?」
営業スマイルのような顔に戻った戸田は楽しそうに話し始めた。
「退院と言いたかったのですけどね〜記憶喪失ということですから、しばらくは此処に居てもらいます。当然ですが安静にお願いしますね。あなたの場合、記憶が無いという事意外は正常ですからね。調子に乗って部屋から出ないでくださいよ」
記憶がないってこと以外は悪いところとかは無いのか……それだけでも分かったことで安心できた。そのせいか眠気に僕の体は支配されていった。
「分かりました。では、疲れましたので寝かせてもらってよろしいですか?」
普段仕事をしている時は、何時もこれなのだろうと思わせる営業スマイルで戸田は話した。
「それが良いですね。私も仕事がありますので、失礼させていただきますよ。何か有ったらナースコールお願いしますね。それでは」
そう言って早足で、戸田は出て行こうとしてドアで止まった。
「言い忘れました。あなたの名前ですけど奥井思遠(おくいしえん)ですよ。それでは」
今度こそ本当に戸田は部屋から出て行った。
奥井思遠か……僕の名前、初めて聞いたようで懐かしい気がする。当然か……起きる前は普通に呼ばれていたのだろう。それにしても疲れた……起きたら病院だし、記憶喪失だと言われるし、自分のことは思い出せないし。何がなんだか分からないことだらけだ。記憶喪失だから当たり前か……寝よう、考えても仕方ないよな。
僕は目を閉じた。白い世界が黒い幕に覆われていった。



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